チラシの裏

世界の構成

世界は不思議だ。 人は意思を持って、この広い世界に住んでいる。

目で見て、耳で聞き、機械で測定し、この世界を把握しようとしている。 それでどれだけのことが分かったのだろう。 どれだけの範囲が、科学の手中におさまったのだろう。

分子が発見され、原子が発見され、中性子が実験で登場した。 量子化学という名目で、不可解な現象を説明しようとした。 ヒモ理論を用いて、正確に把握しようとした。

一方、私は特殊な経験により、違ったアプローチで世界を説明しようとするのである。

機械で測れない次元

機械で測れない次元があるのである。 この次元は、科学で無視され、無いものとされてきた。 しかし人は潜在的に、こうした存在があることを認識している。

人は心を認識し、愛を語る。 これは機械では測定できない。 しかし人は愛を尊び、そうした芸術に関心を寄せる。

愛を科学で説明しようとすると、どうなるか。 一気に無機質なものとなり、人は関心を失うだろう。 しかし科学者は、それこそ科学だと考え、科学の勝利を誇るのである。

果たしてこのような科学に、意味はあるのだろうか? 人の幸せに繋がらない科学に、意味はあるのだろうか?

霊の存在

霊は0である。 物質を1から数えると、その元である。

1から作られた機械は、その元である0を認識できない。 しかし0は1を認識し、支配しているのである。 人が機械を用いるのは、すでに0から発生している。 人が幸せになるには、この0を無視しては成し得ないのである。

神の存在

神は0の元である。 すなわち宇宙意思であり、すべての根源である。 世にいう神々は、この神の枝である。 そのため、人は枝の神々を信仰しているのだ。

よく、神は人を助けてくれないと言われる。 神は死んだと言われる。 これは、単に時期の問題だ。 神は常に0を支配し、人を支配している。 善人も悪人も、隔てなく操っている。

人は不幸になりたくない。 神を頼って、幸せになろうとする。 しかしその神は、多くは枝なのだ。

神々の役割

神々は本原の神ではない。 枝であり、それぞれ役割がある。 善悪の役割がある。 そうして世界は回っているのだ。